30年以上続いた腰痛と向き合い、趣味のクレー射撃を80歳まで!

2026-10-06

40歳頃からは腰の重さや痛みを抱えながら仕事を続け、次の世代へ仕事を引き継いだことをきっかけに改めて自分の腰と向き合うことを決めた榎本幹雄さん。治療後には運動を生活の中に取り入れ、現在も毎晩約1時間、自宅で体を動かす習慣を続けています。

30年以上続いた「我慢」の生活から、現在までに何があったのか。榎本さんにこれまでの経緯を振り返ってもらいました。

 20歳の英国留学中、ゴルフ場で突然動けなくなった

リビングの一角にあるトレーニングスペース

榎本さんの腰痛の記憶は、20歳の頃までさかのぼります。当時、英国の大学に留学していた榎本さんは、早朝のゴルフ場でクラブを振り上げた瞬間、突然その場から動けなくなりました。友人が救急車を呼び、現地の病院に搬送され、そのまま約1週間入院しました。その後、歩けるようになりましたが、この時に経験した強烈な痛みは榎本さんの記憶に今でも強く残っているといいます。

帰国後、37歳の時に映像機器の設営やレンタルを行う会社を立ち上げました。「コンサートやミュージカルなどで使用する大型の映像機器を扱う仕事です。数年前には東京ドームで行われた男性グループの無観客ライブでは、40台のプロジェクターを運び込んだこともあります。」

会社を始めた頃は人手も少なく、自ら重い機材を扱いながら現場を回る日々。車で短い仮眠を取っては次の現場へ向かうこともあり、体への負担が大きい生活が続いていました」

40歳を迎える頃には、腰の重さと痛みが日常生活の一部になっていました。しかし、自分で立ち上げた会社があります。「会社をつくった手前、辞めるわけにいかない」。腰痛を抱えながらも、榎本さんは仕事を続けました。

「人に言えないでしょ? 言ってもどんな痛みかわからないじゃないですか。それがね、つらいですね。社長の自分が不平不満ばっかり言うわけにもいかないし」と榎本さん。

 駅まで20分。その途中で何度も立ち止まった

腰痛は仕事だけでなく、榎本さんの日常生活にも影響を及ぼすようになりました。椅子に深く腰掛けることができず、階段を普通に下りることも難しい。駅まで約20分の道のりも、一度に歩くことができませんでした。

途中で何度も立ち止まり、腰が落ち着くのを待ってから再び歩き始めます。ただ休んでいると思われないように、周囲には景色を眺めているように装うこともありました。腰痛そのものだけでなく、そのつらさを周囲に完全に理解してもらい難いことも、榎本さんにとって長年の負担だったといいます。

もちろん、何もせずに痛みに耐えていたわけではありません。整形外科での治療や痛み止めのほか、指圧、鍼灸、カイロプラクティックなど、人から聞いて可能性がありそうだと思えばすべて試してみました。しかし、当時を「一時的に楽になることはあっても、続かなかった。」と振り返ります。

「腰痛と長い間共存してきたんですね」と問いかけると、榎本さんは少し言葉を選びながら、「共存というより我慢ですよ。痛くて痛くて、、、」と話します。

仕事を引退したことをきっかけに、もう一度腰と向き合う

転機は長年続けてきた仕事を次の社長へ引き継いだことでした。75歳になった2025年に、榎本さんは新聞広告で新たな相談先を知ります。しかし、すぐに電話をしたわけではありませんでした。これまでにもさまざまな治療を経験してきたことに加え、高額な治療費への懸念もあったからです。

それでも、仕事を引退したことを1つの区切りとして、1度話を聞いてみようと考えました。当時の心境について、榎本さんは「騙されても行ってみよう。1回やってみようと思ったんです」と率直に振り返ります。

受診後はMRIの画像を見ながら現在の状態について細かな説明を受け、傷みが進んでいる箇所もあることも聞いたうえで、治療を受けることを決めました。施術中には痛みも感じたといいますが、榎本さんの印象に強く残っているのは、その後のことでした。

「自分に合った治療方法だったのかわからないけれど、とにかく、すたすた歩いて帰れたんですよ」

長年にわたり歩くことにも苦労してきた榎本さんにとって、治療後に歩いて帰ったときの感覚は、今でも明瞭な記憶として振り返ることができるようです。

その後も、腰の状態は順調で、「この30年間はいったい何だったんだろうと思います」と感慨深げです。

 治療だけで終わらせず、毎晩1時間の運動を習慣に

細かなケアプログラムを確認しながら

榎本さんの体験で特徴的なのは、治療を受けたことだけを現在の状態につなげて考えていないことです。自身が繰り返し話すのは、治療後に始めた運動の重要性です。

クリニックの関連施設で1週間のケアプログラムに参加した榎本さんは、帰宅後も指導を受けた運動やストレッチを生活の中に取り入れました。夜、家族が休んだ後の約1時間を運動の時間に充て、背中や腰をゆっくり動かしたり、道具を使った運動を行ったりしています。さらに朝には、室内で有酸素運動にも取り組んでいます。

自宅に小さなトレーニングスペースを設けるまでになりました。治療を受けたから終わりではなく、その後も自分自身で体を整えていくことが必要だというのが、榎本さんの考えです。

「医療行為だけで終わらせようというのは、とんでもないことだと思います。基本を整えてもらった後、良くするか悪くするかは本人次第。やっぱり、やらなきゃダメですよ」

「まずは80歳まで」クレー射撃を続けることが目標

現在の榎本さんの目標は、趣味のクレー射撃をできるだけ長く続けることです。クレー射撃には道具を支える力が必要で、射撃場まで車を運転する体力も欠かせません。そのためにも、毎日の運動を続けながら体力を維持していきたいと考えています。

「まずは80歳まで」

腰痛に悩んだ30年間そのものがなくなるわけではありません。しかし、仕事を引退してから改めて治療を受け、その後も自分自身で運動を継続したことで、榎本さんの生活は変化しました。

榎本さんにとって毎晩の約1時間は、単に腰のために運動する時間ではなく、クレー射撃をはじめとする自分の楽しみをこれからも続けていくための習慣になっています。

注記:本記事は本人へのインタビューおよび提供資料を基に構成した個人の体験談です。症状、診断、治療の適応や経過には個人差があります。治療を検討する際は、医師の診察・説明を受けたうえで判断してください

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